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王将と個性と皿うどん

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王将に行くと、必ず頼むのが「皿うどん」今は「揚げそば」と名前が変わっているけど、皿うどん。

チェーン店では特に固定のメニューを頼むことにしている。それは自分の感覚を維持することと違和感を感じやすくすること。そして味の違いを楽しむこと。

特に王将はセントラルキッチン方式ではなく、お店でそれぞれ作っているため、微妙に店舗ごとに違いが有る。有るんだけど、どの店で食べても皿うどんは美味いのだ。美味いというのが当たり前にあるのはすごいことなのだ。

某チェーン店のラーメン屋ではやれあの店が美味いだの不味いだの、ほんとに同じ屋号もっているのかと怪しくなるときがあるが。王将は別。何処に行っても美味い

美味いの中に違いが有る。それは作る過程において何かがそれぞれ違ってくるのだろう。ある店ではもやしが多くシャキシャキの食感。ある店では醤油の味が強く出て、昼間に食べるとガツガツ行ける。

そうやって同じ皿うどんの違いを楽しむのだ

これがいわゆる個性であり、特長であり、オリジナリティと呼ばれるものだろう。音楽でも一緒。同じような演奏に見えても、リズムや音作り、フレーズの弾き方でキャラクターが変わってくる。同じ皿うどんを演奏しても人によって味付けが異なるんだと思う。

自分の味付けがどんなものかを理解している人は強い。それこそが武器だから。私の皿うどんの良さを自分がしるところから、個性は始まるのかもしれない

もっと基本なところとして、どの皿うどんもまず「美味い」必要がある。

美味い演奏とはなんだろうか。当たり前に曲が聞けること、ハラハラしないこと。基本的だがそれが重要なのだと思う。だから、自分のできないところを開き直って個性と呼ぶのは皿うどんに対して失礼だと思っている。

なぜ王将はどこでも美味いのか。おそらくは徹底したマニュアルか、基礎となる味付け用の材料があるのだと思われる。

これは基礎的な実力を持っていることと解釈ができる。基礎力の向上は没個性を生むと言われるが、私はそれはないと考えている。寧ろ基礎力のない個性こそ没個性なのだ。美味しくない皿うどんは食べる気になれない

基礎が有り、美味しい演奏ができて、その上で自分の味付けができることが出来る人が、オリジナリティのある人なんだと思う。

次に別の王将に行くときはまた皿うどんを頼むだろうし、きっと美味しい。私もそんな皿うどんのように個性を持ちたい。

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