新しいことを知ろうとしたときに手っ取り早く実践するのが、入門書を読んでみよう。からだと思います。ただ、どんな本を読んでいいのかわからないし、本当に知識が身につくのかわからないなと思いながら気づけば読んでもない難しい本が部屋に積まれた態になっていることはないだろうか。
ええ、私です。
そんな悩みに答える方法としてどこかしらで見かける「簡単な入門書を3冊くらい読む」という方法の意味がよくわからなかったというか、実感できなかったのです。絶対3冊は飽きるし、2冊くらいでいいのでは?というよくわからない疑問があったのですが、ふとしたことでそれが割と理にかなっているのではないか。と思うようになったのでご参考に
同じ内容でも説明の仕方が違うと理解度が違う
これは受け手(読者)側に依存することですが、合う合わないという相性があると考えています。
音楽理論は体験をもとに体系立てられたものなので、実はどんな本を読んでも同じような内容が載っており(楽典はルールだし)どれを読んでも正解が書いてあるのですが、理解できるかは別問題。
つまり、同じ内容でも受け手側の理解しやすい表現かどうかで、変わってしまうということなのかもしれない。例えば、これはドミナントモーション(G7→Cに動くやつ)の勢いの流れを滑り台で表現している
本によっては「解決」とか「すっきり」みたいな表現をしているだけにとどまっていたりするのでイメージがしやすいかもしれない。
例えば、ダイアトニックコードのメジャーとマイナーを表現するためにコードを家族構成に見立てる本が多いのですが(本の内容なので画像がなく申し訳ない)
これはどんなキーになってもⅠのコードは同じ役割と印象だよ。という意味だと思うのですが、私にはあまりイメージできなかったのです。ところがこれを喜怒哀楽だけで表現したのが作曲少女2。
鍵盤に顔文字(^_^、・へ・、などの表情がわかる)のシールを張って、各音の特徴を表現しています。
正直こっちのほうが印象的でわかりやすい。
という感じに、著者の考えや今まで培ったもので書かれているため、理解しやすい・しにくい。というのが本によって違うというのがわかることがあります。どんな教わり方が自分にあっているのかを知るためにも複数の本を読んでおくに越したことはない。ということなのかもしれない。
3冊で補完し合う
ベン図みたいな関係。
同じ入門書、あるいは作曲の本でも3冊全てに書かれていることと、2冊には書かれていること、1冊には書かれていること、などがあります。
それは作曲の勉強は本一冊の中に収まるものではないから、作者が伝えておきたい内容を取捨選択し、本に書き上げているからでしょうか。あるいは間違った認識のものがあるかもしれない。
別の言い方をすれば、3冊買っても3冊全く同じ内容がそのとおり書いていることはない。ので3冊買えば3冊分の知識が手に入るということだと思う。それは1冊では理解できないことが理解できるようになることも含まれている。
3冊読んでもわからないときは
3冊読んでも理解できないこと、あるいは読んだあとに壁にぶつかって、わからないと感じたこと、3冊では保管されていないことは絶対にあるとおもいます。
その場合は「人に聞く」のが正解
じゃあはじめから人に聞けばいいのでは?というわけでもないので(答えてくれるかは人による)ある程度前提知識を持っておく必要があるし、もう1冊読めば答えが見つかるかもしれない。そういう探求をしながらも悩んだときは人に相談するのもいいことだと思うし、そういう相談ができる人は大切にしたほうがいい。
というわけで、やっぱり3冊くらいは読んでおいたほうがいいですよね。って話でした。