作曲・フレーズのアイデアがどうもうまく出せない
思いついても、なにかのマネレベルで薄っぺらい感じになる
そういう気持ちがよく湧くので、何人かに相談した
音楽に限らず、作品を作る際にはかならず先人の何かに影響を受けています。それにとらわれずに全く新しいものを作る。というのはほぼありえない。とまで考えています。
ではそれはパクリなのか。 いいえ違います。一つ良い教えをしてもらいました
書道の世界では形臨(けいりん)、意臨(いりん)、背臨(はいりん)という作品のカテゴリー?考え方?があります。
書道で使う言葉「意臨形臨(いりんけいりん)」という、毎年行われる展示があります。
上記サイトより
・形臨(けいりん)は、お手本を真似て書く事。
・意臨(いりんは)は、その人のリズムや気持ち等をくみ取って書くこと。
・背臨(はいりん)は、十分にお手本を記憶できたところで、お手本を見ずに、記憶を頼りに自分のものにして書く
書道という世界では、もととなる作品が存在しそれを以下に自分の形で表現するかという考え方があり、それをベースに自分の表現を行うという、音楽で言えばピアノのコンクールのようなものでしょうか
例えばコピーをする際に、楽譜やTAB譜だけを観て音をなぞって、弾けるだけの状態は形臨でしょうか。
そこから一歩進んで、その曲の表現したかったことやかっこいい部分を自分なりに解釈して表現、カバーすることのが意臨であり、背臨ですね
これは守破離の考え方にも近いものを感じます。
この考え方を聞いたときに、自分は形臨で止まっていないだろうか。という気づきを得ました
先人のヒットソングや偉大な楽曲の中にある重要や要素をどこまで汲み取れているだろうか。それを自分なりに表現することができるのなら、まだまだアイデアに困ることはないのじゃないだろうか
ドラマーの知り合いからはこちらを教えてもらいました
TOTOのロザーナはこのシャッフルの気持ちいいリズムが全世界で人気でありこのドラムパートだけのコンテストがあるのだとか
TOTOのドラマーであるジェフ・ポーカロは自身の教則ビデオでこの楽曲について解説
そこである2曲からアイデアを頂いたと語っています。
バーナード・パーディが演奏するSteely Dan の Home At Last
もう一つがレッド・ツェッペリンのFool in the Rain
これらを混ぜてなんとか作ったのではなく、この2つが自分の引き出しに入っていて、今回の楽曲に取り入れれば面白いとかよくなるという考え方で取り入れたのだろうと思われる
これは原典を自分なりな解釈で活用しているという意味では背臨的な考え方と思って良いかもしれない
そう、芸術の世界では作品の出力方法は様々でも自分の考えや表現したいものというのは一緒なのかもしれない
改めて自分の演奏を見直した時に、形臨で終わっているようなケースが多々あると思うし、表現の深いところまで理解(この場合は自分の答えを持つこと)しているのはかなり少ないのではないか。
と改めて反省をする機会になった。この話はいろいろと腑に落ちることが多かった。
なんというか、自分はまだ創作するスタートにも立っていないのではないだろうか、そう感じるのだ
逆に自分はまだこれからできることがあるのか。という前向きさも持てた
今から新しいスタートができそうな気がした(気がしただけかもしれない)